カテゴリ: つれづれ日記
2001年9月11日に起こったアメリカの同時多発テロ事件から9年が経過した。その9月11日に、フロリダ州の教会の牧師がコーラン償却集会を計画した。この集会自体は中止されたが、テネシー州の別の牧師がコーラン数冊を焼いた。アメリカ国内でも賛成派、反対派のデモが起こり、アフガニスタンで起こった抗議集会では治安部隊の発砲によって亡くなる人もでた。
秦の始皇帝の「焚書坑儒」以来、暴力で思想を押さえつけようとした事例は世界中に無数にある。日本の戦前の思想弾圧もそうだし、カンボジアの知識人大虐殺も記憶に新しい。他者を、自分の信ずる一つの思想にまとめることこそが正義だ、と盲信するときに、こういう事件は起こる。
宗教は人の心の深い部分に関わることだから、どの宗教の経典でも、それが焼かれるということは、自己を否定されると感じる人も多いはずだ。宗教や政治信条について、すべての人の心は自由を保障されるべきだ、というのは当然のようにいわれているが、実はなかなかそれが実行されているとはいいがたい。
今日投票される民主党代表選も、両陣営はあらゆる圧力を駆使して、一票獲得に必死だ。日本の選挙は残念ながら、いまだ縁故や組織などのしがらみによって左右されることが多い。
恐ろしいのは、暴力やさまざまな圧力や損得を無意識に察知して、自分の精神をコントロールしてしまうことだ。戦前の日本が戦争に進んだ大きな理由は、軍部がおかしいと感じても、それを声に出すことができなかった人たちが無数にいたからだろう。誰もが自由にものが言える社会が、民主主義のはずだが、そこへの道のりはまだ遠いのだろうか。
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