カテゴリ: つれづれ日記
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毎日見ている有明山だが、その表情は一日たりとも同じことはない。写真では空の色の美しさが十分に伝わらないのが残念だが、昨日の夕暮れ時の空の色は心に染み入るようだった。
茜さす紫野行き標野(しめの)行き 野守(のもり)は見ずや君が袖振る
茜いろの空を眺めていると、万葉集の額田王(ぬかたのおおきみ)の恋歌が浮かんだ。万葉の時代から、美しい空は人々の心を動かしてきた。
有明山は万葉の時代よりずっと前からここにある。江戸時代ころまでは戸放ヶ嶽(とばなしがたけ)とも呼ばれていた。天照大神が天岩戸に隠れたときの手力男命が岩戸を投げ捨て、世の中に光を戻したとき、その岩戸が飛んできてできた山だから、戸放ヶ嶽。戸隠山も同じいわれで、岩戸が隠された山だからこの名前がついた。
有明山は「明かりが有る」という意味だろうか。有明海ともおそらくつながりがある。5、6世紀ころ、北九州からやってきた安曇族が名づけたのではないだろうか。やはり安曇族の本拠地の一つだった対馬にもきれいな三角形の有明山がある。
神が宿るといわれる有明山。長い間、修験道の修行の山でもあった。
美しい山の姿に、人々はさまざまな思いを重ねる。一瞬の空の色に、古の人々を想い、幸せなひと時を味わった。
ちなみに拙著『失われた弥勒の手―安曇野伝説―』(講談社)に有明山のことは詳しく書いた。
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