カテゴリ: つれづれ日記
済州島四・三事件というのをご存知だろうか。
済州4.3平和公園にある記念館に足を踏み入れたとき、自分がほとんどこの事件について知らなかったことにショックを受けた。
1945年、第二次世界大戦で日本が降伏すると、朝鮮半島は38度線で北はソビエト軍、南はアメリカ軍によって分割され、占領統治が始まった。しかし、占領した国の思想がちがうからといって、そこに住む人々にさまざまな考えを持つ人がいることは当たり前である。一つの国として選挙をして独立国になるるべきだと考える人たちもたくさんいた。
済州島では1947年、南北が統一された自主独立国家の樹立を求めるデモを行った島民に対し、警察が子どもを含めた6人を射殺するということが起こった。アメリカ軍は、南朝鮮を反共の砦にしなければならないと考えていたから、反共の政権を作り上げようとしていた。翌年の1948年に南朝鮮は北朝鮮抜きの単独選挙を行うことが決定された。済州島でも左右両派の対立が起こり、4月3日、単独選挙に反対する島民の蜂起が起こる。蜂起は軍や警察によって鎮圧されるが、そこから済州島の悲劇は始まる。
アメリカ軍は済州島をレッドアイランドと呼び、共産主義者ではない島民に対しても容赦なく取り締まった。8月15日に大韓民国が樹立されてからも、拷問、虐殺など筆舌に尽くしがたい弾圧が続き、1954年9月21日までに2万5千人から3万人の犠牲者が出た。
済州島は歴史的に流刑地だったこともあり、本土からの差別も激しいところだったそうだ。貧しさのために、日本が韓国を併合していた時代に日本に渡った人々のかなりの数が済州島民だったという。さらに四・三時件以後、弾圧を逃れるために再び日本へ脱出、密入国した人々も相当の数にのぼり、島民の一部は大阪にコミュニティーを建設したという。
記念館で説明してくれた人は、被害者だけがいて、加害者はわからない事件なのだと語った。つまり、国家が行った犯罪は不問に付されるということだ。この虐殺が公にきちんと調べられるようになったのは、実はキム・デジュン(金大中)が大統領になってからのことだ。なんと事件が起きてから半世紀を必要とした。反共を国是としていた韓国では、この事件は表ざたにしたくなかったのだ。
21世紀になって大統領のノ・ムヒョン(慮武ヒョン、金偏に玄) は済州島を訪れ、島民と懇談してこの事件のことを初めて謝罪した。ノ・ムヒョンはこう語った。
「誇らしい歴史も恥ずかしい歴史も、歴史はありのままを明らかにして整理しなければなりません。とりわけ国家権力による誤りは整理せずに済ませることはできません」
ドイツの戦後の反省は極めて厳しいものだった。果たして、日本はどうだったのだろうか。沖縄戦での日本軍の振る舞いに対して、日本の政府はどれだけ明らかにしているだろう。
北朝鮮では政府の考えに反対する人は今でも弾圧されてる。民主主義の、歴史をきちんと明らかにする国でなければ、人は安心して暮らせない。
済州島訪問では国家の犯罪ということを考えさせられた。
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