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「明けゆく山湖 ケーニヒ湖」人はなぜ急ぐ…問いかけ
7 明けゆく山湖(ケーニヒス湖)
オーストリアとの国境近く、バイエルンの山中にこの湖はある。東山魁夷が書いた旅行記がなかったら、こんな山奥まで足を伸ばすことはなかっただろう。
魁夷は留学生時代にも二度この地を訪れている。一度目はベルリンに滞在している各国の交換学生たちといっしょだった。熱く語り合い、心に残る年越しを経験したそうだ。二度目は湖の氷が解け始める春で、その荘厳な景色が心に刻まれたという。還暦を過ぎてドイツを巡る旅に出た魁夷は、青春の思い出の地をどうしても訪れたかったのだろう。旅行記に、30数年前の自然がそのまま残されていることに感動したと記している。
それからさらに40年後。観光客は増えたものの、自然保護は現在も徹底されており、湖の周りを巡る道さえ作られていなかった。昔ながらのボートハウスの横で仕事をしていた人に絵を見せると、裏の小道を登って行けといわれる。小さな尾根を越えると、突如この景色が現われ、息を呑んだ。あたりの山々には伝説があった。その昔、この地を治める王が粗暴な所業によって神の怒りに触れ、妃と7人の子どもと共に岩山にされたというのだ。
時折、音もなく船が行き交う以外は動くものさえない。魁夷はここでも望遠レンズを使って風景を切り取った。普通なら、私の写真のように風景を広く入れたくなるのだがそこが魁夷のセンスだ。
旅行記の記述にしたがって、船で対岸へ渡り、さらに奥にあるオーバー湖へ行く。湖畔を歩くこと1時間。その果てに一軒の酪農家がある。壁には、魁夷の目にとまった一枚の絵皿が掛かっている。そこにはこう記されていた。
「安息は人間にとって神聖なもの/ただ狂人だけが急ぐ」
魁夷は、人はなぜ急ぐのかと自問し、急激な文明の発達は人類の破滅を早めると考える。この地で魁夷の絵の根底に流れる思想に触れた。
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