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「泉 ローテンブルク」愛する町への思いこめ
2 泉(ローテンブルク)
東山魁夷はローテンブルクのことを「故郷ともいうべき響きを持つ町」と語る。ドイツの旅の中でもっともスケッチ数が多いのも、旅行記の記述が一番長いのもローテンブルクである。
この町は中世の宝石箱ともいわれ、ロマンティック街道のハイライトとして世界中にその名を知られている。城壁には趣のある五つの門があり、門をくぐると、そこは中世の世界である。美しい木組みの家や石造りの建物が並び、石畳の道では個性的な鉄細工の看板が軒を彩っている。
魁夷がこの町に滞在した最後の日は、ちょうど祭りの日だった。人々は中世の衣装に身を包み、楽隊は兵士の姿で管楽器を吹き、太鼓を打ち鳴らしていた。幸いにも私が訪れたときも同じ祭りの日だった。昔の服を纏った住民の誰もが楽しそうで、彼らがどれほど町の歴史を誇りにし、愛しているかが伝わってきた。
「泉」の石柱の上には槍で竜退治をしている聖ゲオルグの騎馬像が丁寧に描かれている。左の張り出し窓も、その下の聖母像や街灯や鉄細工の看板も、泉を囲む壁の顔がついた装飾文様も、細部まで実に心を込めて描いている。色彩の調和にも細心の注意が払われ、画面には穏やかな旋律が潜んでいる。
留学生時代にも魁夷はほとんど同じ位置からこの景色を描いている。彼はどの街角の風景も、記憶に残っていると記すが、とくにこの泉があるマルクト広場については「これが私の世界である」とまで語る。
実は、ローテンブルクは戦争中に爆撃で町の40%が破壊された。ところが、住民たちは戦後、町を完璧なまでに復元した。その努力がどれほどのものだったかは想像もできない。戦前を知る魁夷ですらどこが新しく、どこが古いのか、ほとんど区別がつかないという。魁夷は自分が愛する思い出のローテンブルクをここまで復元した人々への思いの丈を絵筆に託したのだろう。
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