カテゴリ: つれづれ日記
少し前の朝日新聞の記事で、画家の安野光雅さんが哲学者の鶴見俊輔さん文章を引用していた。引用によれば鶴見さんは、日本の知識人は、社会に対して、効果的発言をすることができなくなっている。それは知識人の思索の根幹と一般市民のそれとがかけ離れていているからであり、多くの知識人は効果的な発言をするための表現手段を持っていないからだ、という。安野さんは1950年に発表されたこの文章を、今読んでもその通りだという。
この鶴見さんの指摘は、ぼくが長年かかわってきた美術の分野でも顕著に見られる。新聞の展覧会評も図録の解説も特別な美術知識人だけのために書かれているように思うことがたびたびあった。美術の世界では、イラストレーションもマンガも、絵本も、長い間取りあげることすらしてこなかった。美術家は語りたいことがあれば、市民にとって身近な表現手段の中にもっと入り込むべきだと思うし、評論家や研究者はそのことを分かりやすく語るべきなのではないだろうか。
じつは同じことは政治の世界でもあるのだと思う。政治家が語るべきことを持っているか持っていないかは置くとして、一般市民に伝わる言葉を持っていないから投票率が低くなる。芸能人やテレビで活躍する人が政治家としても人気があるというのは、中身は別として、メディアでの表現手段を知っているからに違いない。
10月9日から、松本市美術館で「こころ はずむ えほん の せかい」が始まる。ちひろ美術館がコレクションした世界の絵本画家たちの作品が展示される。子どもたちが楽しめる「芸術」の世界は大人にも分かりやすいものだ。表現するとは何かをあらためて考える機会になればうれしい。
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