?
ジブリのアニメーション映画「崖の上のポニョ」の舞台になったのが広島県福山市の鞆の浦だ。万葉の時代から歌に読まれる景勝地で、古い町並みが残ることで知られている。歴史的な街とポニョの舞台ということも興味があったが、もう一つ訪ねてみたい理由があった。鞆の浦は埋め立てと架橋工事が計画され、それに対し、反対派の住民が訴訟を起こし、広島地裁が差し止めの判決を下した。歴史的景観の保護を理由に大型公共工事にストップがかけられたのははじめてのことだった。
観光案内所で「どこに架橋は計画されたのですか」と観光地図を見せると、女性の担当者は鞆の浦のシンボルである常夜燈のあたりから湾の西の方向へ乱暴に線を引いた。たしかにこの位置に架橋ができれば、古い町の景観は根こそぎ崩れてしまうだろう。観光に携わる人にとっては許しがたいことにちがいない。彼女が苛立ちを隠さないことも理解できた。しかし、町は真っ二つに意見が分かれているという。
町中を歩くと、坂の多い地域に驚くほど古い家並みが続いていた。遅い昼食を食べた店は奥が深く、中庭に面した建物は築3百年を越すということだった。観光客は「なんといい風情だろう」と喜ぶが、こうした家で生活することは、並大抵の苦労ではないはずだ。維持費はもとより、近代的な生活は望むべくもない。古い町に住むという喜びと誇りがなければ耐えられることではないだろう。
効率と便利さと町の経済の繁栄を考えれば、おおきな架橋を作ることによって職が生まれ、経済が活性化すると考える人がいることもわからなくはない。
宮崎駿がなぜ「ポニョ」の舞台に鞆の浦を選んだのかは知らない。しかし、この町に何ヶ月も滞在していれば、あわただしい日常から隔離され、創作に専念できただろうということは容易に想像できる。フランスの地中海沿岸には鷲の巣村と呼ばれる中世の町並みが残る村がいくつもある。丘の上で城壁に囲まれ、坂だらけで車も通れなければ、近代的生活とは縁もゆかりもない。しかし、そこでの生活を愛している人々がいる。
鞆の浦は潮目が変わる地点で、昔から航海の要所だった。ここに滞在して潮目が変わるのを待ったので町が栄えたのだという。潮の流れの境はよい漁場でもある。
おいしい魚を食べながら考えた。
現代人は、急ぎすぎている。不便ななかに喜びを見出すということを忘れてしまった。谷崎潤一郎が『陰影礼賛』のなかで、影があるから日向のよさもわかるというようなことを言っていたと記憶している。「明るいナショナル」に象徴されるように現代は明るいこと、便利なこと、効率がよいことだけに価値を置いてしまったように思う。影がないことが文明だと勘違いしてしまったのではないだろうか。影のよさを見失ったときに、人はどこに向かって走り続けるのだろう。
空想を生む力は、古い町並みの影の中に潜んでいるのではないかと思った。
鞆の浦にもう一度、ゆっくり滞在して、もの思いにふけってみたい。
松本猛