カテゴリ: つれづれ日記
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福岡県田川市の石炭・歴史博物館でユネスコの世界記憶遺産に指定された山本作兵衛の炭鉱記録画を見てきた。田川市には炭鉱の坑道に入るための縦抗の鉄塔や煙突がまだ保存され、おおきなボタ山も残っており、当時の炭鉱町の姿が偲ばれる。
1960年ころ、石油資本の圧力などによるエネルギー政策の転換によって、炭鉱閉鎖が次々と行われ、大変な労働争議が起こった。そのころ、ぼくは小学生だった。父の松本善明がが労働争議の弁護士をしていたこともあって、当時の記憶は鮮明に残っている。
「あんま~り煙突が高いので、さぞやお月さん煙たかろ・・・」と歌う炭坑節の煙突(写真)を目の当たりにし、写真資料を見ながら、当時の活況と喧騒が伝わり感慨深かった。
抗夫として働いた山本作兵衛が描いた炭鉱記録画は、炭鉱労働者の過酷な仕事を伝えていて、ひきつけられた。あらためて絵とは何かを考えさせられた。
作兵衛は7歳で父について炭鉱に入って以来、半世紀も炭鉱で働き続け、60代半ばから子や孫に炭鉱での生活を伝えたいと筆を取り、1000点以上の作品を描き残した。人の、伝えたいという意思は、想像を超えるエネルギーを発揮するのだろう。
作品の技術がどうのこうのという以上に、作兵衛の絵は心に届くものがある。本来、絵は表現であると同時にドキュメンテーションとしての役割を持つ。
たとえば、絵巻や江戸絵本にしても(もちろん外国の絵でも同じだが)アートとしての価値と歴史資料としての価値がある。アートとしての価値とはなんだろうか。技術がどれほどすぐれていても、心に響かない作品は山ほどある。作兵衛は専門的に絵を学んだわけではないから、描き方は素朴である。しかし、多くの人の心を揺さぶる。
わずかな光しかなかった暗闇の坑道の中の状況は、実際には絵のようには見えない。しかし、作兵衛は、その中で仕事をした人間としての実感があったからこそ、リアルな迫力を持って、わかりやすい絵を描くことができた。
絵を描くということは、あらためて、表現したいものがあって、それを伝えたいという強い意思があるときこそ力を持つのだということを考えさせられた。
石炭というのは堆積した木の量によって層の厚さが変わる。大手の会社は厚い層の鉱脈を機械を導入して掘る。それに対して、弱小の会社は薄い石炭層を彫るから、上の絵のような腹ばいになった掘り方をせざるを得ないのだそうだ。それは落盤の危険を常に背負っている。給料は危険負担がある分だけ高かったそうだが、炭鉱工夫は、いつ死ぬかわからないという状況の中で、宵越しの金は残さない、という生活をしたそうだ。だからこそ、炭鉱の町は活気にあふれていた。
現在、ほとんどの炭鉱は水没させられ、再掘削は不可能だという。日本の石炭輸入量は現在増え続けている。原発の問題を含めて日本のエネルギー政策というものを、もう一度考えねばなるまい。
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