カテゴリ: つれづれ日記
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しばらく長野をはなれていた。講演で行った兵庫県の西脇市は明石市の真北。東経135度、北緯35度に位置することから「日本のへそ」の位置にあるとアピールして「へそ公園」もある。北海道から沖縄までの東西南北を考えるとこのあたりが中心らしい。
かつて播州織で栄えた町は古い町並みや、ぎざぎざの屋根を持つ織物工場の建物がたくさん残っている。坂の多い古い町並みにはY字路がいくつもあった。この町出身の画家、横尾忠則は西脇のY字路をテーマにした絵をいくつも描いている。彼の子供時代に焼きついていた原風景はY字路なのだろう。人生の岐路をイメージさせるからだろうか、実はY字路を描く画家は多い。
夕暮れ時に小さな路地で子どもたちが遊んでいた。一瞬、子ども時代にもどったような錯覚を覚えた。昭和の20~30年代は、暗くなるまで子どもたちは外で遊んでいた。ひっそりとした、大正、昭和の古い町並みはいつまで残っていってくれるだろう。
同じ古い町並みでも、京都は趣がまったく違う。”記憶の中の町”と”歴史の中の町”という違いだろうか。ちょうど紅葉の盛りに連休が重なったこともあり、古都は人であふれていた。テレビの映像で見る紅葉の京都は、人を写さないので静かな古都のイメージが広がるが、現実は日本中の人が集まって来ているのではないかと思うほどだった。バスに乗れば通勤ラッシュそのものであり、普段はひっそりとした「哲学の道」は隙間もないほど人がぞろぞろ通っていた。紅葉で有名な寺はライトアップされ、入るまでに50分待ちということだったので、遠慮した。雑誌に載った料理屋はどこも長蛇の列。それでも、日本人は京都が好きなのだろう。寺の縁側に座り込めば、後ろの人々の気配すら感じていないように、眼前に広がる風景に浸りきっている人も少なくなかった。苔の緑とモミジの紅のコントラストは美しかったが、寺の室内にあふれる人と庭の静寂のコントラストも面白いといえば面白い。
夜、空を仰げば満月が煌々と輝いていた。平安の貴族たちの世界に思いをはせる。いつの時代も、この空は変わらない。
いくら、人が多いといっても、穴場は必ずあるもので、その一つが法然院の墓地だった。法然院までは人が多かったが、墓地はひっそりとして、誰もいなかった。谷崎潤一郎の墓石には「寂」という字が彫られている。その隣は静かな京都の家の屋根を象徴化して描いた日本画の大家、福田平八郎の墓だ。少し離れたところには「貧乏物語」を書いた経済学者の河上肇の墓もある。京都は歴史の街であると同時にさまざまな文化人を生み出してきた土地でもあった。
今は安曇野、太古より変わらぬ山の景色を眺める。安曇野はやはり美しい。
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