カテゴリ: つれづれ日記
ブログからすっかりご無沙汰してしまい、読んでいてくださった方には申し訳ありませんでした。安曇野を離れていることが多く、余裕があまりない日が続くと、つい書くのがおろそかになってしまいました。
6月6日と27日NHKBSで夜の9時から「美の饗宴 東山魁夷 日本の心を旅する」という番組に出演します。一回目はドイツをテーマにした番組。20日の二回目は出演しませんが京都がテーマです。三回目は「山河に見つけた原点」というテーマで信州の自然が出てきます。
先日、東山魁夷が世に認められるようになるきっかけになった作品「残照」の取材地である千葉県房総の山、鹿野山にロケに行ってきました。
魁夷は終戦の直前、迫撃兵としての熊本で訓練を受けていたのですが、そのとき熊本城の天守閣から見た夕日を浴びる阿蘇山の風景に涙が出るほど感動したと記しています。二度と生きて絵筆を握ることはありえないという状況だったからこそ、あれほど感動したのだろう、と魁夷はいいます。戦争が終わって1946年に魁夷は鹿野山に登り、延々と山並みが続く九十九谷の景色を眺め、スケッチをし、その風景の上に阿蘇山ならぬ、夕日に映える八ヶ岳を重ね合わせて描きました。八ヶ岳付近は学生時代から通い詰めた信州の地のひとつであり、一年の内三分の一も滞在していたことがあるところです。風景のかなたに画家としての出発点になった山の景色を描きこみたかったのでしょう。
鹿野山の上から、魁夷と同じように景色を眺めながらいくつかのことに気づきました。まず描いた位置は現在の展望台より少し高いところだったろうと絵と風景を比較しながら感じました。魁夷が、描いたと思われる地点は、実はゴルフ場で削られてしまっていました。山並みが続く風景の中にも、点々とゴルフコースがあり、昔の景色とは面影を変えていました。
魁夷は大学を終え、ドイツに留学していたのですが、60歳を過ぎてドイツに行ったとき、20台のときと同じ景色がしっかり残っていると感動しています。魁夷は、政治的発言はしない人でしたが、自然保護についてだけは語り続け、現代社会は急ぎすぎているのではないかといい、ドイツの自然や古い町並みを大切にする国民性に惹かれると語っています。
魁夷が、今回の原発の問題を目の当たりにしたとしたら、どんな言葉を発したでしょう。彼の愛するドイツは脱原発に舵を切りました。
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