カテゴリ: つれづれ日記
今年は、ときどきはブログを書こうとと考えています。
ところで、原発事故から4年目の3.11に合わせて、娘の春野といっしょに絵本『ふくしまからきた子 そつぎょう』を制作しました。原発事故から一年目の2012年には『ふくしまからきた子』をやはり春野といっしょに作りましたが、今回はその続編です。一作目は、とにかく子どもが大人といっしょに原発事故とは何かを考えるきっかけになる本をつくろうと思い、福島から広島の親戚を頼って母子避難した家庭を設定し、その子どもを主人公に描きました。あの本は「ぼくのことを書いた本です」と言ってくれた少年もいて、一作目は一作目で、間違ったことは書いていないと自負しています。
一作目の出版後も、福島へは度々足を運び、その後の人々の生活や、さまざまな動きを見てくるなかで、福島に住むことを選択して生き抜いてきた人々の姿を描かなければという思いが次第に強くなりました。当初は、子どもを抱える人々は避難したくてもできない人が多いのだと思っていたのですが、足を運ぶうちに、原発事故や、放射能に関しての知識を膨大に持ち、あらゆる条件を考えた上で、福島で生きることを選んでいる人がたくさんいることがわかってきました。その方々はもちろん、子どもの健康に関しても十分な調査と対策をしたうえで判断していました。保育者たちも、学校の先生たちも、どうしたら子どもたちが安全に暮らせるかという研究は、本当に驚くほどのものでした。そういう人々の努力もあり、居住不可能な地域は別にして、現状では子どもたちは十分安全に生活できる環境が整っています。
もちろん、原発の問題は生活環境が改善されてきたからといって、汚染水の問題も、汚染ゴミの問題も何も解決していません。その状態で原発再稼働へかじを切った政府の方針は許されるものではないと考えていますが、福島の状況をしっかり知った上で、脱原発の動きを広げなければならないと思います。実を言うと、「福島」と一言で括ることの怖さを、福島に通うなかで何回も感じました。相馬などの海岸線では放射線の問題よりも、津波の被害の後遺症が今でもたくさん残っていますし、会津地方などは、放射線の影響はありません。原発事故が起こった周辺地域と、福島や郡山や伊達市の状況もまったくちがいます。
取材した方々から聞いたことの中で印象的だったのは、支援してくださるのはありがたいが、かわいそうだと思うのではなくはなく、実際に現地に来て、実際の生活を見てくださる方がうれしいんだ、という言葉でした。
今回の本が、今の福島と原発とは何なのかを考えることにつながればうれしいと思います。娘の春野が、この本を描いた時の思いをブログに載せています。興味があれば読んでください。
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