カテゴリ: つれづれ日記
昨日と今日、松本市浅間温泉イベント広場で「渡来人まつり」が行われている。朝鮮半島と日本の文化交流を通して互いの理解と協調を目指そうという試みだ。昨日は、済州島から来た人々が仮面劇を演じてくれた。打楽器の演奏にのったユーモラスな仮面と色とりどりの衣装つけたの舞は、能のような日本の古典芸能とはだいぶ趣が違う。もっとも、日本の文化の元は大陸から来たものだし、元来、日本人そのものが南方系、大陸系はあるにせよ「渡来人」だから、文化の違いを認識するより、類似性を探すほうが楽しいかもしれない。
文化はそれぞれの、土地の特性によって異なった発展を遂げる。陶器一つを取ってみても秀吉軍が連れてきた陶工たちは、それぞれの地で有田にしろ、萩にしろ、薩摩にしろ独自の発展を遂げた。
仮面劇の鮮やかな衣装を見ながら、日本はなぜ霞がかかったような微妙な色調を好むようになったかを考えた。おそらく、それは気候よるものだろう。大陸の乾いた空気に対して、日本は湿潤の空気だ。長くヨーロッパにいた画家が日本に帰ってきた途端に、自分が使う色がくすんできたと語っていたことを思い出した。
5世紀といわれる浅間の桜ヶ丘古墳からは、三国時代、朝鮮半島の南で栄えていた伽耶諸国のものときわめて類似した(伽耶で造られたと考えるべきだと私は思う)天冠が出土している。これが今回のイベントで展示された。実は、安曇野の有明古墳群からも類似した装飾板が出土している。以前書いた小説『失われた弥勒の手』でも指摘したが、安曇野、松本地域は5~6世紀、朝鮮半島のかなり有力な勢力との密接な関係があったと考えられる。
その松本で「渡来人まつり」が行われることはきわめて意義深いことだ。
近年、戦前に日本に移住を余儀なくされた多くの在日韓国人、朝鮮人の2世、3世が日本名ではなく、もともとの姓を名乗ることができるようになってきたことは歓迎すべきことだが、まだ、国粋主義的思想を持つ人も少なくない。日本文化とは何なのか、民族とは何なのかを、よく考えてみたい。司馬遼太郎は「民族は文化の共有固体で血や種族ではない」と語ったそうだ。
日本に永住する「渡来人」、それは最も古い「日本人」と呼ばれる「渡来人」だけでなく、近年アジアやヨーロッパやアメリカやアフリカやオーストラリアから来た人々であろうと、日本という地域に住む人々は互いのアイデンティティーを尊重しながら新しい文化を創っていかねばならないだろう。「渡来人まつり」が日本と朝鮮半島だけでなくもっと広がりを持つようになれば楽しい。
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