- 表土を剥いだ川俣町の小学校の校庭
- ブルーシートの中には汚染された土がある
先日、福島の小学校を訪ねた。飯舘村の避難を余儀なくされている三つの小学校は伊達郡川俣町の中学校を借りて授業をしていた。しかし、元気いっぱいの子どもたちは外に出ることができない。
3月以降避難するまでに被曝した放射線量が高いからだ。外にでるということは、放射線の蓄積量を増やすことになる。飯舘の子どもたちは全員ホールボディーカウンターの検査を受け、かなりの時間が経過した後のチェックだったにもかかわらずヨウ素やセシウム反応が高かった子もいたそうだ。
子どもたちは、それぞれの保護者が避難している家や仮設住宅からスクールバスで通ってくる。遠い子は1時間半もかかる。
飯舘では約、3割の子どもが転校している。子どもの健康を考えれば、だれもが転校したいのかもしれないが、その条件のない家庭も多い。一方、福島の他地域に避難していた子どもが戻ってきている例も少なくないが、それは、福島市も郡山市も放射線量が高く、いっそ同じくらいならば飯舘に近い地域で暮らし、川俣中学校に移転した友達の多い小学校に戻る方がいいという判断が生まれたからだろう。実際、転校先でいじめにあったり、なじめない子どもの例が少なくないと先生は語っていた。
飯舘村だけではなく実は、福島市でも伊達市でも郡山市でも汚染度の高い地域がある。外で遊ばせるか、プールに入れるかなどの判断は、それぞれの小学校の校長の判断にゆだねられる。同じ地域でも、避難勧告がなされた家とそうでない家もある。その子達は同じ小学校に通う。住民の中の考え方も必ずしも同じではない。そこにはさまざまな問題が渦巻いている。地域によって状況がちがうのはわかるが、校長の判断に任せるといっても、それは行政の責任放棄のようにも感じられる。きちんとした情報公開と、子どもの安全を考えた複数の専門家の説明が行なわれなければならない。当初、たいしたことはない、心配するなといい続けた専門家の責任は大きい。
放射線は目に見えないだけに、時がたつと、防御意識が薄れてきているという人もいる。たしかにマスクや長袖を着ている子どもは数が少なくなっていた。以前と何も変わらないように見える日常があれば、いつの間にか被曝の恐怖は薄らいでいくのかもしれない。
しかし、通学路も野山も校庭のように表土をはがすわけには行かない。しかも。放射線の被曝の影響は時がたってからでてくる。被曝した人たちに対する放射線を使う検診のあり方も考え直さねばならないと指摘する医師もいる。
福島の実態を伝える作業はあらゆる分野で行なわれなければならない。それはマスコミだけでなく、文学や映像、美術を含めあらゆる文化・芸術の分野でも発言していくことが求められている。その人たちの生活がどうであるのか、心の問題、哲学の問題、さまざまな論議が必要になっている。
私は、いま、子どもたちが、どういう状況に置かれ、何を考えているのかを、子どもや親に伝える絵本の制作に取り組み始めている。