カテゴリ: つれづれ日記
松本市で開かれた薩摩焼の達人、沈壽官15代の講演を聞いた。
およそ400年前、秀吉の朝鮮出兵のときに島津家に連れて来られた陶工たちが起こしたのが薩摩焼である。沈壽官初代はその中の一人であった。もっとも、韓国に行けば、沈家の祖先は26代までさかのぼれるという。有田焼も、萩焼も、唐津焼もルーツをたどれば秀吉の軍勢が連行してきた朝鮮の陶工たちが始祖になるという。朝鮮の陶工たちは、陶器に適した土を求め、試行錯誤を重ねながらそれぞれの焼き物のスタイルを作り上げていった。
薩摩焼の沈家がその名をとどめた理由の一つに、薩摩藩が行っていた密貿易が関係していたという話は面白かった。密貿易のために通訳集団が必要で、そのために朝鮮人集落を存続させていて、密貿易が発覚したときに、朝鮮人たちの行為だといい逃れるためにも朝鮮名を使わせていたのだそうだ。
14代は司馬遼太郎の小説の主人公になり、その名が知られるようになった。15代は現在51歳。14代がまだ元気なときに、39歳で15代の襲名を行っている。それは、作品を見れば一瞬にして納得がいく。人間業とは思えないほどの透かし彫りの技術、美しい作品の数々は人々の心を魅了する。
15代は子ども時代、「朝鮮人」といわれていじめられた日々があったという。先祖代々、400年も日本で生活していたにもかかわらず、である。彼はおそらく、国家とは何か、民族とは何か、個人とは何かを考え続けたのだろう。日本と朝鮮半島の歴史を調べ、薩摩の歴史を調べ、沈家の背負った歴史を調べる。イタリアへ陶芸の勉強のため留学し、外からの視点で日本や朝鮮半島を見つめる。また、韓国の甕作りの工房で修行に入り、「日本人」としての差別を感じながら、朝の1時から、手の感覚がなくなるまでの作業を経験する。
二晩にわたって、15代と酒を酌み交わした。その手はたくましい陶工の手であり、風貌、面構えからは、どのような風雪にも動じない人間性を感じた。彼は14代から「一人前になるということは、どんな状況におかれても、たった一人になったとしても、寂しさを感じずに生きていけることだ」といわれた、と語った。人間とは何かを考え、ものをつくるということの厳しさの一端に触れた。
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