カテゴリ: つれづれ日記
昨日、安曇野ちひろ美術館で谷川俊太郎、賢作親子のトーク&コンサートが開かれた。俊太郎さんは詩人としてあまりにも有名だが、賢作さんはジャズピアニスト、作曲家、編曲家、音楽プロデューサーとして活躍している。賢作さんの音楽家としてのデビューは、30年ほど前、東京のちひろ美術館でのコンサートだった。
実は、このコンサートは昨年の今頃、東京のちひろ美術館で開催された谷川親子コンサートのあとの会食で、俊太郎さんといわさきちひろがともに12月15日生まれだということが分かったことがきっかけだった。そこで、安曇野で誕生日コンサートをやりましょうということになった。
俊太郎さんの詩の朗読に、するりと賢作さんのピアノが入り込んでいく感覚は、親子の呼吸というものなのだろうか。しかし、男親と息子というのは一般的には反発しあうものだ。どうしてあんなに溶け合うことができるのだろう。79歳と50歳という年齢がそれを可能にしたのかもしれない。ジャズの感覚が生きているのだろうか。もっとも、会話の中では、賢作さんが「売れている詩人には、売れない作曲家の気持ちなんか分からない」と突っ込んだりして、笑いを取っていたが。
俊太郎さんの話の中で興味を引いたのは、「自分は小説はかけない」といった言葉だった。詩は断片の積み重ねで、小説は物語の流れ。組み写真と映画の違いだろうか。ぼくはふっと、シュールリアリズムの絵画と詩の世界を重ねてみた。関係ない物体が一つの画面で組み合わされると不思議な世界が生まれる。詩は一つの言葉の持っているイメージと別の言葉の持っているイメージが出合うことで新しいイメージを生み出すところに面白さがある。
俊太郎さんの詩の朗読を聴いていると詩は、小説より音楽にはるかに近いように思われた。感覚的な世界なのに深い思想を感じるのはなぜだろう。
「人生の苦しいときにどう対応するのか」という問いに、俊太郎さんは、苦しみをとことん受け入れるというこたえ方をされた。受け止めることからしか先へは進めない、という。そうやってつむぎだされた言葉には奥行きがあるのだろうか。
音楽と言葉、時には絵本の映像も入って、楽しく、味わいのある断片が積み重なって、2時間という時間があっという間に過ぎた。このコンサート自体が一編の詩だったのかも知れない。
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