カテゴリ: つれづれ日記
8年間勤めた信濃美術館を4月30日で退職した。
入ったときは、副館長が収賄で捕まり、次長がセクハラで訴えられた後だったこともあり、館内は非常にむずかしい状況だった。スタッフはほとんどあきらめ状態で、どう進めていいか本当に悩んだ。
最初の展示では長野市内のレストランとタイアップし、展示される作品のイメージでメニューを作ってももらった。マスコミがたくさん取材してくれたのにもかかわらず、入館者はあまり伸びなかった。美術館が何をやっているのか知っていても、足を運ぶところまで気持ちがいかなかったのだろう。美術館に来るという習慣がないところでの、活動を考えたとき、長期戦を覚悟した。欧米では、子ども時代に美術館で楽しかった記憶がある人が大人になって美術館に戻ってく来るという調査データがある。ぼくは子どもを対象にした教育普及に力を入れることにした。展示でも子どもが楽しめる展示を、積極的にやるようにした。もう一つは生活に密着した展示だ。ファッションや、ヘアーデザインの展示にも挑戦した。
しかし、全国平均最低に近い予算でいい活動をおこなうには苦労が付きまとった。どれほど新しい提案をしても受け入れられることはほとんどなかった。ぼくの提案で、実現できたのは1割か2割ではなかっただろうか。それでも、少しずつ改革をしてきた。作品のデータ整理や図書整理など当然やられていなければならない作業が放置されていたりして、負の遺産をゼロに戻すだけでも相当なエネルギーと時間がいった。
それでも、入館者は年間十万人台だったのを現在は30万人前後にまで引き上げることができた。
いろいろやり残したことはあったが、今度は別の立場で美術館改革に取り組みたいと思っているが、スタッフたちに急に別れを告げなければならなかったことが、申し訳なくもあり、悲しくもあった。
何かを得ようとするときは、何かを失わなければならないのだろうか。
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