仙崎の街並みと金子みすゞ記念会(金子文英堂)
金子みすゞの部屋
- 家のそばの道ばたに咲くホタルブクロ
我が家の近くの道ばたにホタルブクロがたくさん咲いていた。
ホタルブクロの名のいわれは、蛍が出るころ、水辺近くに咲くこの花に蛍を入れて遊んだからといわれる。子どものころ、蚊帳に蛍を入れて遊んだことはあったが、いにしえの遊びはなんと優雅なことだったか。
詩人の金子みすゞだったら、どんな詩を作っただろうと、思いをめぐらせた。蛍に寄り添うか、ホタルブクロに寄り添うか、はたまた、ほのかに灯りが点滅する提灯型の花の美しさを詠っただろうか。
しばらく前、山口県長門市仙崎にある金子みすゞ記念館を訪ねた。仙崎はかつて鯨漁で栄えた港町で今も古い町並みが残っている。記念館はかつて金子みすゞが住んでいた「金子文英堂」の看板が掛かる、昔ながらの本屋が入口になっている。帳場の裏から二階に上がると部屋が復元されており、大正の時代へタイムスリップしたような錯覚にとらわれる。家を出て、奥に広がる記念館に入ると、ここもなかなか雰囲気のある建物で、展示も工夫してあり、楽しめる。
のんびりと町中を歩くと、みすゞ自身が童謡などに詠った場所にはその詩が飾られていた。それどころかどの家にもみすゞの詩が飾られている。それぞれの家の人が選んだ詩なのだろうか。今、この1キロほど続く通りは「みすゞ通り」と呼ばれている。町の人々も、命への優しいまなざしを持ち続けながら、幸薄く、若くして命を絶ったみすゞのことを愛しているように思われた。
墓に詣でながら、仙崎の町は金子みすゞの詩が世の中で再評価されることによって甦ったのかもしれないと思った。
一人の詩人の作品が、古い町並みを残すのに役立っている。
「すずと、小鳥と、それからわたし、みんなちがって、みんないい。」
日本の駅前の姿がどこも同じようになっていくことに、みすゞが生きていたらなんと思っただろう。
仙崎が、個性豊かな町であり続けることを願って仙崎を後にした。
松本猛