カテゴリ: つれづれ日記
先日、まつもと市民芸術館で三島由紀夫原作、宮本亜門演出の「金閣寺」を観た。三島の精神世界を感じさせる耽美的な文学をどのように劇化するのだろうと興味を持ったからだ。
劇場に入って、まず驚いたことは客席を一杯に埋め尽くした客層だった。10代、20代の若い女性たちがひしめき合っていた。今まで、まつもと市民劇場で何回も芝居を見てきたが、こういうことは一度もなかった。理由は主役がジャニーズ事務所のアイドルグループV6の森田剛という人だったからだ。駐車場には確かに県外からのナンバーがあふれていた。関係者に聞いたところ、追っかけが全国から集まるということだった。
芝居中はオペラグラスで「森田君」だけを見ている人がかなりいた。幕間の休憩のとき携帯で話をしている人の声が耳に入った。「話しなんて、何がなんだかワカンナーイ」と笑顔でしゃべっていた。三島由紀夫も「金閣寺」も知らない世代が多かったのかもしれない。
舞台演出はヨーロッパの演劇ではやっている、演技者が動くところに舞台が流動的に作られていくというもので、視覚的には興味深いものだったが、内容はぼくには欲求不満が残るものだった。中身は小説の筋を追って、男女の恋愛と男同士のゲイ的関係をクローズアップしていたが、三島の文学世界とはかけ離れていたものだった。「金閣寺」という小説をどう評価するかはひとまずおいたとしても、あの緻密に構成された密度の濃い世界は演劇の中には微塵も感じられなかった。個々の役者の中には役を掘り下げて、どう人間を表現するかを真摯に追及している人もいたが、芝居全体として見れば演劇的緊張感は形成されていなかった。
?? この芝居は神奈川芸術劇場の?(こけら)落とし用に準備された作品だった。会場を満杯にしなければならないという、使命に対して宮本亜門がV6のメンバーを主役に使うという興行優先の判断をしたのだろう。
芝居が終わったとき、ぼくは拍手もほとんどせず座っていたのだが、若い女性たちは続々と立ち上がってスタンディングオベーションを行っていた。おそらくコンサートののりなのだろう。「森田君」は何回もカーテンコールで舞台に登場し、他の役者たちを舞台に招いた。
芝居が、興行的成功だけを求めたときこういう問題が起こると感じた。次々とアイドルを主役に抜擢して芝居を作っていったら、いずれ演劇はすたれるだろう。質の高いいいものを楽しむ観客を育てなければ演劇の未来はない。
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