松本猛(たけし)のブログ「つれづれ日記」。日々の感じたことや考えたことなど、つれづれなるままに綴っていきます。
高畑さんが亡くなった。悲しいという思いをとおりこして、もうお話ができないのかという喪失感が大きい。
昨日、中日新聞と信濃毎日新聞から電話インタビューを受けた。この写真がその記事だが、これは語ったことのほんの一部に過ぎない。新聞記事だからそれは仕方がないが、少しばかり高畑さんから聞いた話をここに書く。
近年、高畑さんお会いして話すときほど楽しいことはなかった。今の日本社会や世界情勢のこともいわさきちひろのこともたくさん話したが、一番面白かったのは、絵巻の話やいろいろな画家についての話だった。高畑さんは平安時代の絵巻があそこまで発達した理由を考えていた。絵師の力量や、絵巻の紙質、テーマの多様さなどを頭において、とんでもないスポンサーの存在がなければあれだけのものは生まれなかったと語った。そのスポンサーは後白河法皇以外には考えられないとうのが高畑さんの意見だった。後白河法皇という人物についての高畑さんの洞察も興味深かったが、アニメーション監督として膨大な資金がなければアニメーション制作ができないことを知っていたからこそ、平安時代のスポンサーに考えが及んだのだろう。ことほど左様に、ヨーロッパの絵についても柔軟な考えを持っている方だった。った日本人の持っている他人と違うことをしたくないという集団性が前の戦争につき進ませたということもかたっており、現在もまたその危険性が迫っているとも語っておられた。平和と芸術を愛する博覧強記の巨人が一人逝ってしまった。
あんなにすごい人だったのに、だれにでも優しく分け隔てなく接する人だった。
高畑さんというすばらしい人に親しく接することができたという幸運に感謝したい。足元にも及ばないが、少しでもその生き方を学びながら生きていきたい。
昨年末から、台湾の若手(といっても40歳くらいかな)絵本作家、劉さんの絵本(画像「わたしだけのがっこう〈仮題〉)の翻訳を行っています。今年、新日本出版社から出版予定です。台湾で何回か会って、その作品のやさしさとユーモアと、彼の人柄にひかれて、日本で紹介したいと思いました。
原文は三人称で書かれていたのですが、主人公の一人称の文章にして、女の子の心理を追うという意訳に挑戦しました。ぼく自身はわりに気に入っているのですが、出たら読んでみてください。
今年は、時事通信で毎週の連載を書くことになりました。仮題ですが「絵で見るいわさきちひろの生涯」というものです。画像が一点とぼくのエッセーです。地方紙に出ることになるので、(しかも地域によって時期はばらばらの可能性もあります)東京の人は直接見るチャンスがないかもしれません。発表されたら、HPにはUPするつもりです。今日、第一回を書き上げました。
また、群像の3月号に「『いわさきちひろ 子どもへの愛に生きて』を書き終えて」という少し長めのエッセーを書きます。評伝には書き込めなかった同年代の、堀文子さんや水上勉や藤原ていHPとのことや、丸木俊さんのことなどについても、書き終えて見えてきたことがかなりあるので、書いてみたいと思っています。
本では、二十代に書いた『絵本論』をベースに新絵本論をまとめる予定です。岩波書店が出してくれるというので、ちひろ美術館でやってきた絵本研究の集大成にしたいと思っています。
安曇族の小説『失われた弥勒の手』も講談社で絶版になったので、長野県の出版社で、新しい情報を少し書き足して、改訂版を出したいと考えています。
ついでに言うと、10年ほど温めている、東山魁夷の小説も準備中です。魁夷を軸に東京美術学校同期の田中一村や八島太郎(岩松淳)らを絡ませながら、戦中戦後をそれぞれがどう生きたかを掘り下げてみたいと思っています。
今年もそうとう忙しくなりそうです。
長いことブログをご無沙汰しておりました。
この数年、いろいろ余裕がなく、このページを開けることもなかったのですが、3年半抱えていたちひろの評伝『いわさきちひろ 子どもへの愛に生きて』が今年の10月31日に上梓できて、久しぶりにキーボードに向かいました。
ホームページもほったらかしにしていたのですが、ようやく息を吹き返しました。
おかげさまで、新聞社、雑誌、ラジオなどたくさん取材してくれまして、出版から2か月たたずに重版が決まりました。
紹介、書評記事はHPの活動情報新着欄に載せましたので、興味のある方はご覧ください。書き手によってずいぶん印象が違います。
雑誌関係は1月号などで紹介してくれるようです。
また、来年は1月5日、午前4時ごろ(!)からNHKのラジオ深夜便で40分ほど今度の本や、絵本について話します。聞き手はかつて日曜美術館などでご一緒したことのある石澤典夫さんです。朝早く起きる、あるいは4時まで起きていることは難しいと思いますので、ご興味のある方はどうぞ録音してください。生番組と同じように、ほとんどノーカットでOAされるはずです。
また、来年11月から前進座でちひろの芝居を行うことになりました。
先日、シナリオの原案を前進座の人とともに作りました。年明け早々から、脚本家や演出家と打ち合わせです。
演出家は文学座の鵜山仁さん。こまつ座で上演した井上ひさしの「父と暮らせば」の演出をはじめ、たくさんの受賞歴があり、今、最も注目されている演出家の一人です。
脚本家は、やはり文学座の女優でもありシナリオライターでもある若手の山谷典子さん。戦前、戦後の芸術家村、池袋モンパルナスに詳しく、ちひろに興味がある方だそうです。
高校時代に演劇にはまってシナリオを書いたり、演出をしていたぼくにとってはワクワクする仕事になりそうです。
来年は、時々はブログを書きたいと思っています。
どうぞよいお年をお迎えください。
今年は、ときどきはブログを書こうとと考えています。
ところで、原発事故から4年目の3.11に合わせて、娘の春野といっしょに絵本『ふくしまからきた子 そつぎょう』を制作しました。原発事故から一年目の2012年には『ふくしまからきた子』をやはり春野といっしょに作りましたが、今回はその続編です。一作目は、とにかく子どもが大人といっしょに原発事故とは何かを考えるきっかけになる本をつくろうと思い、福島から広島の親戚を頼って母子避難した家庭を設定し、その子どもを主人公に描きました。あの本は「ぼくのことを書いた本です」と言ってくれた少年もいて、一作目は一作目で、間違ったことは書いていないと自負しています。
一作目の出版後も、福島へは度々足を運び、その後の人々の生活や、さまざまな動きを見てくるなかで、福島に住むことを選択して生き抜いてきた人々の姿を描かなければという思いが次第に強くなりました。当初は、子どもを抱える人々は避難したくてもできない人が多いのだと思っていたのですが、足を運ぶうちに、原発事故や、放射能に関しての知識を膨大に持ち、あらゆる条件を考えた上で、福島で生きることを選んでいる人がたくさんいることがわかってきました。その方々はもちろん、子どもの健康に関しても十分な調査と対策をしたうえで判断していました。保育者たちも、学校の先生たちも、どうしたら子どもたちが安全に暮らせるかという研究は、本当に驚くほどのものでした。そういう人々の努力もあり、居住不可能な地域は別にして、現状では子どもたちは十分安全に生活できる環境が整っています。
もちろん、原発の問題は生活環境が改善されてきたからといって、汚染水の問題も、汚染ゴミの問題も何も解決していません。その状態で原発再稼働へかじを切った政府の方針は許されるものではないと考えていますが、福島の状況をしっかり知った上で、脱原発の動きを広げなければならないと思います。実を言うと、「福島」と一言で括ることの怖さを、福島に通うなかで何回も感じました。相馬などの海岸線では放射線の問題よりも、津波の被害の後遺症が今でもたくさん残っていますし、会津地方などは、放射線の影響はありません。原発事故が起こった周辺地域と、福島や郡山や伊達市の状況もまったくちがいます。
取材した方々から聞いたことの中で印象的だったのは、支援してくださるのはありがたいが、かわいそうだと思うのではなくはなく、実際に現地に来て、実際の生活を見てくださる方がうれしいんだ、という言葉でした。
今回の本が、今の福島と原発とは何なのかを考えることにつながればうれしいと思います。娘の春野が、この本を描いた時の思いをブログに載せています。興味があれば読んでください。
http://www.harunomatsumoto.com/blog/
5月3日の憲法記念日にチラシのようなシンポジュームを開催します。
1930年代、ドイツにはワイマール憲法という当時もっとも民主的と言われた憲法があったにも関わらず、ナチスはなぜそれを骨抜きに出来たのでしょう。集団的自衛権の問題は、同じように不戦を定めた日本国憲法の精神を骨抜きにする恐れを感じます。
戦前の日本と現在の日本は何が似ていて、何が違うのでしょう?今回のシンポジュームではそれぞれの分野の専門家を招いて意見を聞きます。ぼくは、パネリストの皆さんの考えていることを引き出すべくコーディネーターを務めます。
場所は安曇野市の堀金総合体育館サブアリーナ(豊科駅からタクシー)です。お近くの方はぜひおでかけください。
東山魁夷「夕静寂」 長らくご無沙汰しておりました。8ヶ月も書いていなかったのですね。ブログサイトを開けて画像を入れようとしたら、なかなかうまくいかなくてじたばたしてしましました。PCを変えるとストレスがたまって大変です。ご無沙汰した理由は、たしかに忙しかったのですが、病気をしたとかいうことはありません。しばらくあいてしまうと、その間のことを書かなくてはと思ってしまい、億劫になっていました。元来、面倒くさがりなのです。今回、明日テレビに出るので、そのお知らせを兼ねて、ブログをボチボチ復活させようかと思っています。出演するのは以下の番組です。6月8日(土) 21:00~21:55 BSフジプラチナム『日本画の魅力 ~東山魁夷の世界~』http://www.bsfuji.tv/top/pub/nihonga.htmlぼくの好きな作品の一つ「夕静寂」を描いた場所を求めて新穂高温泉まで行って、取材地を確認して来ました。いろいろ新たな発見もあり、昨年書いた『東山魁夷と旅するドイツ・オーストリア』の第2弾『東山魁夷と旅する信州』とか『東山魁夷と旅する京都』なんていうのも考えてみようかと思っています。もっとも、今はスズキコージさんの巨大な絵から絵本を作る仕事の追い込みやら、何やかやと慌ただしく、取り組むにしても来年以降の話になりそうです。
映画監督、西川美和さんの小説「その日東京駅五時二十五分発」という小説を読んだ。
終戦の日、特殊情報部に在籍していた主人公は情報をすべて知っていて、部隊の解散にともなって故郷の広島へ向かった。伯父の手記を元に書いた小説だが、1974年生まれの筆者の視点が、今までの戦争文学とはまったく異なっていて、思わず引きこまれた。
彼女は、3.11を実家の広島で、執筆中に知ったという。この本の凄さは、原発事故、震災という事態をリアルタイムで認識しながら、人間について、戦争ということについて深く思考したところにあるのだろう。
日本が戦争に突き進むことに対して、多くの人は疑いを持たなかった。原子力の平和利用という名のもとに増殖を続けた原発に対しても同じだ。この本は、今我々は何を考えなければならないかを、静かに問いかける。いささかのプロパガンダ臭もなく、淡々と美しい文章を読ませながら、その世界に浸らせ、読者に自分のあり方を考えさせる。筆者自身もその世界に浸りながら、思考していたのだろう。良い文章を書くとはたぶんそういうことなのだ。この若い書き手に学ぶところが多い。
彼女は松たか子と阿部サダヲの映画「夢売る二人」の監督だという。映像の世界も見てみたい。
<講演とテレビ出演のお知らせ>
29日10時よりに松本市の松本筑摩高校で「今、子どもたちに伝えたいこと ―福島を訪ねて―」という講演を行います。福島から避難してきている「手をつなぐ3.11」代表の森永敦子さんとのトークもあります。お近くの方で、この問題に関心があり、ご都合がつく方はどうぞお出かけ下さい。
また、同日午後2時半ころより一時間ほどabn長野朝日放送の生番組に出演します。8月に出版した絵本『りんご畑の12か月』やちひろ美術館、親しかった絵本画家瀬川康男さんのことなどいろいろ話します。長野在住でお時間のある方はどうぞご覧ください。
この夏、3冊目になる本、『りんご畑の12か月』を上梓しました。企画を立てたのが去年の冬でしたから1年半以上かかりました。舞台は安曇野のおぐらやま農場。画家の中武ひでみつさんは実際に、ここで働いている人です。大変さも、喜びもすべて知っています。だからこそ、実感のこもった作品が描けたのでしょう。この絵本にはりんごへの愛が込められています。
オーナーの松村暁生さんは子どもたちが丸かじりできるりんごを作りたいと、除草剤を使わず、低農薬で土づくりから始めました。
戦後の農薬漬けの農業は、労働を軽減して大量生産を実現しましたが、そこで失ったものはたくさんあります。原発事故以降、自然とともに生きたいと考える人はどんどん増えています。大量生産、大量消費の社会で得た豊かさは、人間の本来あるべき姿とは大きく異なっているのではないでしょうか。この絵本は、自然とともに生きることの素晴らしさを語りたいと思って企画した絵本です。
画家の中武さんはこれがデビュー作。誠実で粘り強い作風は、人柄と同じで、これからも大いに期待がもてます。おぐらやま農場http://www.ogurayamashop.com/ともども応援していただければうれしいです。
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22日に東京のちひろ美術館で鎌田實さんの命についての講演があった。チェルノブイリでの医療活動の経験と福島での活動のこと、イスラエルとパレスチナでのことなどを通して、われわれが何をなさねばならないかを考えさせる話だった。
15日は松本市で信州自遊塾主催の「放射能情報のウソとホント」と題した講演とトークを行った。実際に福島に住み、放射線量を計っている人や、子どもと避難してきている人の言葉は重かった。
おそらくこうした小さな講演会や集まりは日本全国でたくさん行われているのだろう。そういう積み重ねが16日に東京に集まった17万人集会へとつながったにちがいない。写真は松本の講演会にも来てくれた友人が、翌日は東京の集会に行って撮って送ってくれたものだ。
最近のマスコミ報道で目につくのは、原発情報がどれだけ隠蔽されてきたのか、いまもされているのか、というものだ。少しずつマスコミの姿勢が変わってきているのは、おそらく世論の動向を感じ取ってのことだろう。
大規模な集会は60年安保、70年安保やその後のベトナム反戦運動以来だという。60年の時は子どもだったのでよくわからないが、70年のころは、集会やデモにもよく参加した。
ベトナム戦争が、嘘で塗り固められた戦争で、アメリカが侵略者だということが誰の目にもあきらかになり、それを全面的にバックアップした日本政府の態度の欺瞞性に人々が気づいた時、あの大きなうねりが起こったのだ。
28日に東京のちひろ美術館で小さな講演会を行う。母、ちひろとともに作った、ベトナム戦争と東京空襲をテーマにした絵本『戦火のなかの子どもたち』について話す。今の時代、原発と戦争という違いはあるにせよ、命よりも金儲けに向かおうとする国家のありようはよく似ていると思う。ぼくの話も、自ずと今とあの頃の話になるだろう。興味がおありの方はどうぞおいでください。詳細は http://www.chihiro.jp/tokyo/event/2012/0628_1010.html をチェックして下さい。
一人ひとりが、自分のできるやり方で言葉を発していくことが大切なのだと思う。
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