松本猛(たけし)のブログ「つれづれ日記」。日々の感じたことや考えたことなど、つれづれなるままに綴っていきます。
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三歳のときからスキーをしていたぼくにとって、スキーの魅力は限りない。ところが昨今はスキー人口の減少に悩むスキー場が多い。大糸線沿線でも青木湖と大町スキー場がクローズした。
スキー場の抱える問題を知りたくて、白馬さのさかスキー場を訪ねた。ここは上村愛子さんも使うところで、夏場はスキーのウォータージャンプ台が人気の場所だ。ウォータージャンプをやっている人を見た。度胸がいりそうだが、ちょっとやってみたいと心が動いた。関係者の方から話を聞くと、2100万人のスキー人口があった1990年代の初めから昨年は710万人まで落ち込んでいるそうだ。各スキー場の経費節減は限界まで行っており、現状打開は厳しいという。
県やエリア全体としての統一した動きが不可欠だろう。共同バスの運行など話題には上るそうだが、実現には至っていない。個々のスキー場だけでの努力では局面の打開は困難だ。エリアがひとつになったキャンペーンが必要だろう。たとえば、上村愛子さんをモデルにしたような、映画やテレビドラマを仕掛けることによって、スキーに関心を持つ層を広げるような取り組みも必要に違いない。
もうひとつは、8ヶ月あるグリーンシーズンの使い方だ。白馬でも取り組みをしているが、花マップを充実させ、写真教室、スケッチ教室などの展開を強めることも大切だと思う。バードウォッチ、山菜取り、きのこ狩りも都会の人には魅力的だ。スキー場はその周辺にある宿泊施設の人々の生活と切り離せない。何とかスキー振興に取り組みたい。
この日の取材には長野朝日放送が同行した。14日の夕方のニュースで放映されるかもしれない。
我が家に帰るとき、空を見上げた。横を流れる川の音を聞きながら、久しぶりにゆっくり夜空を眺める。
昔の人は星空を眺めながら、ギリシャ神話を星空に重ね、織姫や牽牛の物語も生み出した。星空を眺めることができる場所に住んでいることに幸せを感じながら、都市部での光に思いを馳せた。
強烈なイルミネーションと町の光は、空を見上げる喜びを奪ってしまった。現在、世界で20億人以上が天の川を見ることができないという。都市部の光の3分の1は上方へ向かうという。無駄に空を照らしているのだ。無駄なエネルギーが、空を見上げる文化を奪いつつある。
それでも、長野県には美しい星空を見上げることができるところがたくさん残っている。この環境を残し、星空を見上げる喜びを、より多くの人が味わえたらと思う。
昨日はかんてんぱぱ(伊那食品)の塚越会長にお会いして、いろいろ貴重なアドバイスをいただいた。さすがにあれだけの会社を築き上げられた方だけあって、経済問題に対しての発想も柔軟だ。
その後、伊那谷にある福祉法人「プラムの里」を見学した。特別養護老人ホームとグループホームと有料老人ホームの複合施設だ。明るい雰囲気の、なかなかよくできている施設で、お年寄りの方々の生活を垣間見せていただき、施設の担当の方からも話をうかがった。
有料老人ホーム併設というのはいいアイディアだ。入居者が増えれば施設の経営も楽になる。部屋を見せていただいたけれど、なかなかいい。当初、200万円くらいが必要で、その後は月、16万円くらいから、重度の介護が必要な方でも20万円くらいまででいけるそうだ。まだ、空き室があるので、関心のある方はのある方はたずねてみたらどうだろう。
ぼくの世代は介護をする側の立場になることが多い。友人の中にも本当に苦労している人もいる。
そして、ぼくも含めてほとんどすべての人が高齢者になってゆく。認知症になる可能性もあれば、からだが自由に動かなくなることもあるだろう。
福祉施設の問題はすべての人にかかわることとして考えなければならない。
地域密着型多機能施設という、いろいろな対応が可能な施設の重要性も学ぶことができた。ショートステイを充実させなければ、介護をする側が倒れてしまう。
施設の人話の話では、子どもたちが施設を訪ねてくるとき、お年寄りの方たちが楽しそうに見えるという。子どもたちと、施設の接点をもっと作れないだろうか。施設に遊べるものがたくさんあって、子どもたちが施設を訪ねることが楽しくなればいいのだが。
今日、長野の事務所で政策発表を行った。
4月の末に立候補の表明を行って以来、いろいろな職業や立場の人々に会って意見を聞いてきた。意見を聞けば聞くほど、県内のさまざまな問題が見えてきて、それをどう政策に生かすかが課題だった。
あらためて現場の意見を聞くことなしに行政は行えないと感じつつ、すべての要望を政策に盛り込むことの難しさも感じた。緊急度の高い課題、長野県の将来のために今やり始めなければならないことなど、優先順位を考えながら、政策を練った。
考え方の基本は
「子ども」と「自然」と「文化」を大切にする
「お年寄り」や「障がい者」を大切にする
「働く人」の雇用を守り「産業」を輝かせる
という3本の柱にまとめた。新聞などで特徴は見ていただけると思うが、近々全体を読んでもらえる場を作ろうと考えている。準備ができた時点で、このブログでもお知らせします。
昨日は特急「しなの」で松本から長野へ向かった。姨捨あたりで景色の説明が入る。日本の鉄道から見える景色の三大車窓景観の一つだという説明だ。確かに、棚田の向こうに千曲川に広がる善光寺平が一望に見渡せて気持ちがよい。観光客の人々は、みんな窓から外を眺めるのだが、特急では、その景観を止まって眺めることはできない。
ノルウェーのオスロとベルゲンを結ぶベルゲン鉄道は最高地点では列車が止まり、滝のあるところでは、滝の上に女神が登場するパフォーマンスもある。
長野県にはすてきなローカル線がいくつもあるのだから、ビューポイントでは少し止まってパフォーマンスがあってもいいと思う。
篠ノ井線なら、姨捨の物語を語り、俳句のいくつかを紹介するだけでもいい。そうすればその景色が深く心に刻まれ、思い出に残るだろう。それが人々に伝われば、観光の振興にもつながるはずだ。
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諏訪のお殿様の家系で、元岩波映画製作所の代表取締役社長でもあった映画監督の諏訪淳さんのお宅にお邪魔した。
佐久病院のドキュメンタリーをはじめ数々の素晴らしい記録映画を生み出した諏訪監督は、黒で統一した服で首には黒のネッカチーフをさりげなく巻いていた。お宅は玄関から古い中国の彫刻があり、家の中は明代の目を見張るような陶磁器が所狭しと並べられ、さながら美術館。気が遠くなるようなコレクションだが、これを実際に使っていらっしゃるのだから参った。
心のそこから文化を愛していらっしゃる諏訪監督と長野県を素晴らしい県にしようと熱く語り合った。素晴らしいひと時だった。
「山造り承ります 島崎山林研究所」という看板のある島崎塾を訪ねた。
島崎洋路先生は長く信大の農学部の教授として山の現場に立ちながら、多くの学生に森林の大切さを語り続けてこられた。現場を知り尽くした森林学の第一人者だ。82歳になられた今も先生の塾に人が集まり、山造りの専門家が巣立ってゆく。
長野県の森林面積は105万ヘクタール。少なくとも半分は手入れをしなければならないとおっしゃる。しかし、現在の林業従事者の数は3千人に満たない。一人が作業できる範囲は100ヘクタールが限界。つまり2千人以上足りない。
これに限らず、森林の問題は山積している。先生は実態を隠さず、公開しなければならないと力説された。どこで困っているのか、何が必要なのかを県民に広く公開してこそ、解決の糸口が見つかるはずだ。
さまざまな森の問題をうかがいながら、地域の暮らしを再生するためにも森の問題はきわめて重要だと感じた。「森の問題は、最低でも20年は見続けないと動きが見えない」とおっしゃった先生の言葉が胸に刻まれる。山の問題は長野県に生きる子どもたちの将来のためにも、長期展望を持って計画を建てなければならない。
昨日は青木村に近い上田市で話をする機会があった。部屋にあふれるほどの方々に集まっていただき、熱心な質問やご意見をうかがうことができ身が引き締まると同時に励まされた。
帰り道、青木村に住み、この二月に亡くなった「いないいないばあ」などの絵本で知られる画家の瀬川康男さんのお宅の横を通った。何回もお宅に泊めていただき、裏山を歩いたり、薪を割ったものだった。修那羅峠を越えるとき、峠で瀬川さんと眺めた石仏群の記憶がよみがえった。それぞれに個性的な表情をした魅力あふれる石仏だった。ふと瀬川さんが石仏になっているような思いがよぎった。
今日は諏訪での集まりがあった。今夜も会場いっぱいになる人々が私の話を聞きにきて下さり、うれしかった。
初めて諏訪湖を訪れたのは小学生になる前だったと思う。まだ人家が少なく、祖母に連れられて和船に乗り、櫓を握らせてもらった記憶がある。祖母は、諏訪湖は冬になると対岸が近くなるのだと話した。下駄スケートで結氷した湖を渡ることができるようになるからだと説明してくれた。
いろいろなところに話しに行く機会をいただくと、それぞれの土地での思い出がよみがえる。
30日、都内で開かれた勤労者山岳会の50周年パーティーに参加。古くからの知人と再会し楽しいひと時を過ごした。
祖母の岩崎文江は白馬岳に登った女性の第一号らしく、その血を引いたのか、両親もぼくも山好きになった。ぼくが白馬岳に登ったのは小学校六年のとき、高校時代には大町の葛温泉から裏銀座を通り槍ヶ岳まで縦走した。安曇野に住むようになってからも年に一度は山の頂へあがった。ぼくは山が好きだ。
しかし、山岳観光には、課題も多い。登山口までのアクセスについては、一部を除いては公共交通機関がない。おのずと入口が限られ、自由な山歩きの楽しみが少なくなる。登山口の駐車場整備や、交通機関の問題を考えなければならない。登山道の整備や、山小屋の設備の補助もできればより快適で楽しい山歩きが普及するだろう。
写真や、スケッチや、高山植物やバードウォッチなどの指導員紹介のシステムを整備すれば、もっともっと多くの人が山を楽しむことができるようになる。
長野県ほど素晴らしい山がたくさんあるところは他にはないだろう。登山の普及は信州観光の大切な柱の一つだ。
30日、去年から頼まれていた第55回大阪母親大会で「いわさきちひろの平和への願い」について講演をした。会場にぎっしり2000人もの人が集まっていて驚いた。
ぼくがちひろ美術館をつくった理由の一つは、母ちひろが亡くなる1年前に『戦火のなかの子どもたち』という絵本を一緒に作ったからだ。ぼくはまだ大学生だった。当時はベトナム戦争が激しく戦われていて、アメリカ軍の無差別爆撃が病院や学校までをも破壊していた。日本はもちろん世界中で反戦運動が広がっていた。
母がこの絵本を作ったのは、戦争は人を殺すだけでなく、親や兄弟や友人を失った子どもの心をどれほど傷つけるかを語るためだった。母は自分自身の戦争体験を重ね合わせながら、戦争によって悲しみを背負った子どもたちの心を描いた。
母は『戦火のなかの子どもたち』が完成した一年後に肝臓癌で他界した。ぼくは、絵本の素晴らしさや、母の思いを伝えるために、ちひろ美術館をつくる決意をした。ちひろ美術館の理念は「子どもの幸せと平和」を大切にすること。講演ではその思いを語った。
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