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つれづれ日記/安曇野ちひろ美術館前館長、長野県信濃美術館・東山魁夷館前館長松本猛(たけし)のBlog

松本猛(たけし)のブログ「つれづれ日記」。日々の感じたことや考えたことなど、つれづれなるままに綴っていきます。

渡来人まつり

更新日:2010.09.26  |  カテゴリ:つれづれ日記

昨日と今日、松本市浅間温泉イベント広場で「渡来人まつり」が行われている。朝鮮半島と日本の文化交流を通して互いの理解と協調を目指そうという試みだ。昨日は、済州島から来た人々が仮面劇を演じてくれた。打楽器の演奏にのったユーモラスな仮面と色とりどりの衣装つけたの舞は、能のような日本の古典芸能とはだいぶ趣が違う。もっとも、日本の文化の元は大陸から来たものだし、元来、日本人そのものが南方系、大陸系はあるにせよ「渡来人」だから、文化の違いを認識するより、類似性を探すほうが楽しいかもしれない。

文化はそれぞれの、土地の特性によって異なった発展を遂げる。陶器一つを取ってみても秀吉軍が連れてきた陶工たちは、それぞれの地で有田にしろ、萩にしろ、薩摩にしろ独自の発展を遂げた。

仮面劇の鮮やかな衣装を見ながら、日本はなぜ霞がかかったような微妙な色調を好むようになったかを考えた。おそらく、それは気候よるものだろう。大陸の乾いた空気に対して、日本は湿潤の空気だ。長くヨーロッパにいた画家が日本に帰ってきた途端に、自分が使う色がくすんできたと語っていたことを思い出した。

5世紀といわれる浅間の桜ヶ丘古墳からは、三国時代、朝鮮半島の南で栄えていた伽耶諸国のものときわめて類似した(伽耶で造られたと考えるべきだと私は思う)天冠が出土している。これが今回のイベントで展示された。実は、安曇野の有明古墳群からも類似した装飾板が出土している。以前書いた小説『失われた弥勒の手』でも指摘したが、安曇野、松本地域は5~6世紀、朝鮮半島のかなり有力な勢力との密接な関係があったと考えられる。

その松本で「渡来人まつり」が行われることはきわめて意義深いことだ。

近年、戦前に日本に移住を余儀なくされた多くの在日韓国人、朝鮮人の2世、3世が日本名ではなく、もともとの姓を名乗ることができるようになってきたことは歓迎すべきことだが、まだ、国粋主義的思想を持つ人も少なくない。日本文化とは何なのか、民族とは何なのかを、よく考えてみたい。司馬遼太郎は「民族は文化の共有固体で血や種族ではない」と語ったそうだ。

日本に永住する「渡来人」、それは最も古い「日本人」と呼ばれる「渡来人」だけでなく、近年アジアやヨーロッパやアメリカやアフリカやオーストラリアから来た人々であろうと、日本という地域に住む人々は互いのアイデンティティーを尊重しながら新しい文化を創っていかねばならないだろう。「渡来人まつり」が日本と朝鮮半島だけでなくもっと広がりを持つようになれば楽しい。

松本猛

雨の日の散歩

更新日:2010.09.23  |  カテゴリ:つれづれ日記

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雨の秋分の日。突然のように涼しくなった。傘をさして長靴を履き、ウインドブレーカーを羽織って散歩に出かける。

刈り入れの終わった田んぼに水が溜まっている。あぜ道でツユクサを見つけた。しゃがみこんで、ひょうきんな顔に挨拶をする。雨にぬれたツユクサのほうが晴れの日より青も鮮やかになるし、表情もいい。川原に出るところで、ノコンギクの薄紫の花があった。横には終わりに近づいた萩が雨にぬれていた。

川の水は、昨夜からの雨でにごり、増水していた。こんなとき、砂礫は水に運ばれてゆく。遠くに砂防ダムが見える。

どこの小さな川でも、川を歩いていくと砂防ダムを見かける。もともと砂防ダムは土砂災害を防ぐために造られるようになったのだが、災害など起こらない小さな河川にも次々と造られ、自然景観や生態系を破壊することにもつながった。一つ造ると、次々と上流にも造らざるを得なくなる。建設業者にとっては都合のいい公共工事だった。

近年、砂防ダムの問題点を指摘する人が増えている。自然の川の流れに対して、人工のコンクリートの壁を造ることで、一時しのぎをするという発想自体を代えていかなければならない。10年ほど前の河川法改正も、遅まきながら、この問題に気づいて行われた。森林整備や、山の乱開発を見直すことこそ大切だ。自然とともに生きるという思想がもっと広がってほしい。

川原ではまだオオマツヨイグサが少しばかり黄色い花をつぼませて立っていた。今夜も花を開かせるのだろうか。林を抜けて我が家へ向かう。大きなクモの巣の中ほどで、おなかの大きくなったジョロウグモが捕らえたアブを逆さまになって食べていた。よく見ると、体の模様がなかなか美しい。いずれ、たくさんのクモの子を産むのだろう。

落ち葉が敷き詰められたフカフカの林の中では、明日あたりからキノコが出始めるかもしれない。暑い夏は終わった。

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松本猛

トリックアートの世界

更新日:2010.09.18  |  カテゴリ:つれづれ日記

 県信濃美術館で10月24日まで「トリックアートの世界」展が開かれている。建物の窓が実は描かれた窓だったり、人間の顔が、近くによって見ると果物でできていたり、人はだまされることに喜びを感じることがある。だまし絵は洋の東西を問わず、人々を楽しませてきた。

 もともと、絵は「本物のように見える」ことを求めて発展してきたが、写真の登場で絵とは何かを問い直すことになった。今回の展覧会では、あえて、写真と絵が、どちらがリアルかを問う作品も少なくない。視覚はだまされるものなのだ。

 古代ギリシャの画家の腕比べの話は有名だ。一人はたわわに実ったぶどうをを描き、もう一人は自分の絵を布で覆っていた。鳥が、描かれたぶどうを本物と間違えてついばみに来て、ぶどうを描いた画家は自分の勝利を確信し、相手に、早く絵を覆っている布を取れといった。しかし、実はその布は描かれた布だった。

 今回展示されている福田美蘭の作品は、レオナルド・ダ・ヴィンチの聖母子像を違う角度から見たものだ。描かれている幼児キリストの目で聖アンナと聖母マリアを見ている。見慣れた世界が、視点を変えることによって、新しい世界が出現する。

 現実の社会も、視点を変えることによって実は見え方も変わってくる。買い物に行って、店で商品を眺める時、売り手の視点に立ってみれば、何を売りたがっているのかが、見えてくるだろう。政治の世界にもトリックがたくさん隠されているかもしれない。

松本猛

コーラン焼却問題

更新日:2010.09.14  |  カテゴリ:つれづれ日記

 2001年9月11日に起こったアメリカの同時多発テロ事件から9年が経過した。その9月11日に、フロリダ州の教会の牧師がコーラン償却集会を計画した。この集会自体は中止されたが、テネシー州の別の牧師がコーラン数冊を焼いた。アメリカ国内でも賛成派、反対派のデモが起こり、アフガニスタンで起こった抗議集会では治安部隊の発砲によって亡くなる人もでた。

 秦の始皇帝の「焚書坑儒」以来、暴力で思想を押さえつけようとした事例は世界中に無数にある。日本の戦前の思想弾圧もそうだし、カンボジアの知識人大虐殺も記憶に新しい。他者を、自分の信ずる一つの思想にまとめることこそが正義だ、と盲信するときに、こういう事件は起こる。

 宗教は人の心の深い部分に関わることだから、どの宗教の経典でも、それが焼かれるということは、自己を否定されると感じる人も多いはずだ。宗教や政治信条について、すべての人の心は自由を保障されるべきだ、というのは当然のようにいわれているが、実はなかなかそれが実行されているとはいいがたい。

 今日投票される民主党代表選も、両陣営はあらゆる圧力を駆使して、一票獲得に必死だ。日本の選挙は残念ながら、いまだ縁故や組織などのしがらみによって左右されることが多い。

 恐ろしいのは、暴力やさまざまな圧力や損得を無意識に察知して、自分の精神をコントロールしてしまうことだ。戦前の日本が戦争に進んだ大きな理由は、軍部がおかしいと感じても、それを声に出すことができなかった人たちが無数にいたからだろう。誰もが自由にものが言える社会が、民主主義のはずだが、そこへの道のりはまだ遠いのだろうか。

松本猛

池上彰さん

更新日:2010.09.10  |  カテゴリ:つれづれ日記

 新宿駅で「あずさ」を待つ間、構内の本屋をのぞいた。池上彰さんの『伝える力』がずらりと並んでいる。帯には「100万部突破!“自分の思いが相手に届かない”と感じたとき必読の書」と書かれていた。思わず手に取る。

 池上さんは高校の一級先輩で、同じ部室にいたこともある。学生運動全盛の時代だったが、彼は寡黙な人だった。今と同じ顔で、部室の隅に座り、いつも静かに本を読んでいた。ぼくの小説『失われた弥勒の手━安曇野伝説』の書評を信濃毎日新聞に書いてくれたこともあり、去年は2回会う機会があった。

  『伝える力』はあっという間に読み終わった。読みかけだった教育学者の本に比べてなんと楽に読めるのかと驚いた。基本は、語りかける文体だからだ。長い間、NHKの記者をやっていた池上さんはアナウンサーが読む原稿を書き続けていた。耳で聞いてわかる文章を書く人なのだ。この本はPHPビジネス新書ということもあり、ビジネスマンに語りかけるスタイルを徹底していた。素材も舞台も会社。お見事。

 印象に残った一つに携帯の絵文字についての一文があった。池上さんは「絵文字の使用に慣れてしまうと、掘り下げて考えなくなり、思考力も表現力も低下してしまう可能性があります」という。同感。

 交通標識やトイレマークなど絵文字(ピクトグラフ)は瞬時にしてメッセージを伝える力がある一方で、画一化した概念しか伝えられない。人に話すときや、ものを書くときは、視覚的なイメージが浮かぶようにするとわかりやすくなるのだが、絵文字の使用は確かに気をつけなければならない。一方で、絵文字入り文章というのはマンガや映像文化があふれる現代という時代の中で、文字だけの文章とは違う、新しい表現ジャンルとして確立されていくのかもしれない。

松本猛

薩摩焼 沈壽官15代

更新日:2010.09.06  |  カテゴリ:つれづれ日記

松本市で開かれた薩摩焼の達人、沈壽官15代の講演を聞いた。

およそ400年前、秀吉の朝鮮出兵のときに島津家に連れて来られた陶工たちが起こしたのが薩摩焼である。沈壽官初代はその中の一人であった。もっとも、韓国に行けば、沈家の祖先は26代までさかのぼれるという。有田焼も、萩焼も、唐津焼もルーツをたどれば秀吉の軍勢が連行してきた朝鮮の陶工たちが始祖になるという。朝鮮の陶工たちは、陶器に適した土を求め、試行錯誤を重ねながらそれぞれの焼き物のスタイルを作り上げていった。

薩摩焼の沈家がその名をとどめた理由の一つに、薩摩藩が行っていた密貿易が関係していたという話は面白かった。密貿易のために通訳集団が必要で、そのために朝鮮人集落を存続させていて、密貿易が発覚したときに、朝鮮人たちの行為だといい逃れるためにも朝鮮名を使わせていたのだそうだ。

14代は司馬遼太郎の小説の主人公になり、その名が知られるようになった。15代は現在51歳。14代がまだ元気なときに、39歳で15代の襲名を行っている。それは、作品を見れば一瞬にして納得がいく。人間業とは思えないほどの透かし彫りの技術、美しい作品の数々は人々の心を魅了する。

15代は子ども時代、「朝鮮人」といわれていじめられた日々があったという。先祖代々、400年も日本で生活していたにもかかわらず、である。彼はおそらく、国家とは何か、民族とは何か、個人とは何かを考え続けたのだろう。日本と朝鮮半島の歴史を調べ、薩摩の歴史を調べ、沈家の背負った歴史を調べる。イタリアへ陶芸の勉強のため留学し、外からの視点で日本や朝鮮半島を見つめる。また、韓国の甕作りの工房で修行に入り、「日本人」としての差別を感じながら、朝の1時から、手の感覚がなくなるまでの作業を経験する。

二晩にわたって、15代と酒を酌み交わした。その手はたくましい陶工の手であり、風貌、面構えからは、どのような風雪にも動じない人間性を感じた。彼は14代から「一人前になるということは、どんな状況におかれても、たった一人になったとしても、寂しさを感じずに生きていけることだ」といわれた、と語った。人間とは何かを考え、ものをつくるということの厳しさの一端に触れた。

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松本猛

松本氏が“当選”

更新日:2010.09.02  |  カテゴリ:つれづれ日記

 9月1日付けの長野日報で「松本氏が“当選”」という記事が出ていた、と何人かの人から連絡をいただいた。記事の内容は、7月末に下諏訪向陽高校が全校生徒に呼びかけて行った県知事選模擬投票の開票を8月31日に行ったというものだった。松本猛133票、阿部守一93票、腰原愛正68票。記事には「高校生ならではの『教育』を重要施策に挙げる声が多く、大人たちの選挙とは違った結果がでた」とある。

 高校生たちが教育に関心を持つということは、切実な問題だからに違いない。しかし、ここでも投票率の低さが気になった。一年生は社会科の授業として取り組んだために96.6%だったが、2年生は26.4%、3年生は22,4%。

 ある調査によると高校生の現状は「2人に1人が自分は人並みの能力はないと言い、3人に1人が孤独を感じ、5人に3人が自分はダメな人間だと思っていて、5人に4人がなんだか疲れている。そして、5人に3人が自分が参加しても社会は変わらないと言う?」という結果がある。5人に3人が自分が参加しても社会は変わらないと考えていることが、若い人たちの投票率の低さにつながるのだろう。

 だからこそ、教育の問題が大切なのだ、とぼくは訴えたい。自分たちの生きている社会に関心を持つためには小さいときから、大人と一緒になって自然に親しみ、多様な人間関係を経験し、読書に親しむことが大切なのだ。このことは地域と学校と親が一緒になって取り組まない限り実現しない。

 もう一つ、8月31日の信毎の記事で興味深かったものがあった。阿部新県政世論調査の中で、浅川ダムを一時中断して再検証をするべきだという意見が43.1%、工事中止をするべきだ、が18,3%。あわせると61.4%の人がこのまま進めることに疑問を呈している。ちなみに本体工事を進めるべきだは26,7%。ぼくが選挙を通して、浅川ダムは再検証すべきだ、と訴えてきたことが多くの人の心に届いていたということは素直にうれしい。

松本猛

平塚らいてうとちひろ

更新日:2010.08.30  |  カテゴリ:つれづれ日記

昨日、安曇野ちひろ美術館で「らいてうとちひろ」についての対談があった。話し手は作家の太田治子さんと俳人の飯島ユキさん。太田さんは太宰治の娘で、30年ほど前、NHK日曜美術館の初代アシスタントをつとめていたが、そのとき、番組がいわさきちひろを取り上げて以来のお付き合い。ちひろに関してはたくさんの文章を書かれている。飯島さんは、安曇野ちひろ美術館が、ちひろの絵にあわせた俳句を募集したときの選者であり、若いときはらいてうの隣の家に住み親しくしていた方。飯島さんの編著で句画集でもある『らいてうの姿 ちひろの想い』(一兎社)に太田さんも鼎談の参加者として加わっていたことからこの対談が実現した。

らいてうはちひろより34歳年上だが、二人とも1962年に新日本婦人の会設立の呼びかけ人になっており、共通の親しい友人もいたことから、おそらく何度も顔を合わせていたに違いない。らいてうはいつもちひろの絵はがきを使っていたという。

二人とも年下の夫を持ち、太田治子さんはできる女は年下の夫を選ぶものだといっていた。話を聞きながら、二人の共通項は、表では極めて穏やかで静かでいながら、内面では一歩も譲らない強い信念を持っていたことだろうと感じた。らいてうは女性の社会的立場を確立した先駆者だが、ちひろも基本的には同じ考え方をもっていた。しかし、母は、声高に主義主張を語ることはなかった。自分の考え方は絵の中で語ろうとしていた人だった。

昨年、『ちひろと一茶』(信濃毎日新聞社)という本を出したとき、ちひろと一茶の架空対談を書いた。昨日の話を聞きながら、らいてうとちひろを対談させたら面白そうだ、とふと思った。それぞれの男性観や現代という時代をどう見るか、あるいは教育や子どもを取り巻く環境について、など自在に語らせてみたい。

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熊と里山

更新日:2010.08.26  |  カテゴリ:つれづれ日記

 最近に松本市や安曇野市で熊の被害が出ている。昨日、会った方からも熊を見かけたという話を聞いた。安曇野の私のうちのあたりでも熊出没注意のアナウンスが流れている。とはいえ、森の中を散策したくなることもある。妻に必ず持って行けと言われたカウベルを鳴らしながら、森の中を歩いた。足裏の面積が一番大きいのは実は熊ではなく人間なのだという話を思い出した。だから動物たちは、人の歩いた後を通る。登山道も夜は動物たちの道になるのだ。

 足を止めると風が渡っていく音が聞こえる。自然の中にいると心が休まる。見通しのいい森ならば、熊も寄っては来ないだろう。

 去年の秋に私自身、安曇野で子熊を見かけた。以前、北アルプスに登って、熊に遭ったことはあるが人里近くで、これだけ熊が出没するようになったのはどうしてだろう。今回の出没はどんぐりが山になる前に、畑の作物をあさりに来たらしい。確かにそういうこともあるのだろうが、根本的には山と人里の中間地帯がなくなったことが理由なのではないか。

 かつては、人が山に入って間伐を行い、里山の手入れをしていた。山菜やキノコをとる人々も多かった。間伐をすることによって植物の植生が多様になり、生物の種類も増える。このことは、CWニコルさんがつくった実際の里山で、彼から直接うかがった。人が入る里山は自然界との動物たちとの緩衝地帯だった。実際、間伐を進めることによって、イノシシによる農作物の被害は激減するという。

 文明化という人間が求めてきた生活スタイルは、一方で自然と上手に付き合うという生活習慣を失なわせることになった。自然と付き合いながら生きるというライフスタイルはどうやったら復活させることができるのだろう。小さいときから、自然に親しみ、その喜びを知る以外に方法は思いつかない。やはり、里山が人間にとってどれだけ大切かを体験できる教育を、地域と親と保育園、幼稚園、学校が一緒になってが考えていかなければならないのだろう。

 

松本猛

核の傘と浅川問題

更新日:2010.08.22  |  カテゴリ:つれづれ日記

今日の信毎の「考」欄で中馬主筆が「核の傘、抜け出すとき」という一文を寄せていた。

中馬氏は核兵器は一般市民をも巻き込む無差別の大量殺人を行う兵器だと指摘した後、菅首相の姿勢に疑問を投げかけている。菅首相は広島の平和式典で、核兵器のない世界へ向けて先頭に立って行動する道義的責任を口にした一方で、その後の記者会見で「核抑止力は引き続き必要だ」と述べたことを指摘する。アメリカの核の傘に隠れたまま、非核三原則を堅持し核廃絶を語れるのか、という論旨だ。続けて、中国に本気で核軍縮を迫るには核の傘から抜け出すしかないと語る。

実に明快、まったく同感である。

知事選の中で、明快な判断をしなければならない、と感じたことが何回もあった。あいまいにすることで、賛成の人の票も反対の人の票も取り込めるという判断もあるのだろうが、立場を明確に示さないことには、県民が判断できないと私は考えた。浅川ダムに対して再検証が必要だと訴えたのはその一つである。

阿部新知事は、コンクリ-トのダムによらない治水が基本的には正しい、とおっしゃる。それならば是非とも、役に立たない浅川ダムの再検証をしていただきたいと思う。本気で自然を守り、仕分けをして無駄な公共工事を見直すなら、浅川の問題は避けて通れない。

阿部新知事には、菅首相のようにはなってほしくない。周囲の声に惑わされず、ご自身の信じるダムに対する考えを貫いていただきたいと期待する。

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松本猛

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